岡本語録その2

私のお葬式は
①お寺ですること ②親戚は元より、友人・知人・恩人に知らせること 
③お葬式で関係してくれる業者をできるだけ使うこと
④兄弟親戚は仲良くして送ってくれること

お寺で行うことで伽藍をみて戴ける。
信仰している宗旨のことを考えてみる事が出来る。
知人・友人等に知らせることが日頃お付き合いできなかったことにお詫びできる。
いろんな業者のお力を借りることによってその会社(社員・家族)の一助にもなるし
世の中の活性化ができる(その会社だけ潤う事はためにならない)。
まずは兄弟親戚が仲良くなくてはそれらを行うことは無理が生ずる(決して形だけの
葬式はやって欲しくない、こころのそこから私を送ることがどういうことなのか考えて
欲しい)。
要するに、いままで生きてきた(生かさせて)ことに対しての集大成である。
死んでしまった私には采配出来ないから、葬式を行うことでいろんな縁にお礼を
形として心として送って貰うことが本望である。
心静かに『無財の七施(むさいのしちせ)』を我々に教えて下さっているのである。
いまでは家族葬や直葬?が増えてきた。葬式と云う儀式に胡坐を掻いているような
僧侶であってはならないと受け止めたい。

『無財の七施とは、』 
普通に「布施」と云えば、財施、法施、無畏施の三種類があります。
この三種の中の「財施(ざいせ)」と云うのは、貪(むさぼ)る心とか、欲しいと思う心、
恩にきせる心を離れて、お金や衣食などの物資を必要とする人に与えることをいいます。
「法施(ほうせ)」とは、物質財物をあたえるのではなく、教えを説いてきかせると云った、
相手の心に安らぎを与えること、精神面でつくすことをいい、僧侶などが行うべき最も
大切なことです。
「無畏施(むいせ)」とは、恐怖や不安、脅(おび)え慄(おのの)きなどを取り除いて、
安心させることをいいます。 しかし世に中には、施すべき財もなく、教える智慧もなし
ましてや人様の恐れおののきなどを取り除いてやることなど思いもよらない、という
人の方が圧倒的に多い。それでは信仰があっても、仏教の実践など到底出来ないこと
になってしまいます。
しかし、「雑法藏経」というお経の中で、釈尊は「財力や智慧が無くても七施として、
七つの施しが出来る」ことを教え示されておられます。無財と云うのは、費用も
資本もそして能力も使わないで実行できる布施のこと
なのです。

一、眼施(慈眼施)
    慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接すること。
二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)
    いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対すること。
三、愛語施(言辞施)
    ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが
    必要で、思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言う。

四、身施(捨身施)

    自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践すること。
    人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行すること。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)
    自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむ
    ことが出来る。他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるよう
    になること。

六、壮座施(そうざせ)
    わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中では
    よろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、
    自分の地位をゆずっても悔いないでいられることなど。

七、房舎施(ぼうしゃせ)
    雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れ
    になりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持って
    すべての行動をすること。