祀りのあとで

函館は7月がお盆でした。
22回目のお盆を終えました。 風情に物足りない感があるのは、きまぐれ日記で触れたとおり。
行動が伴わないからなお更なのだと思う。
千葉のお寺での風景が懐かしい。
しっかりと自分のこころにご先祖さまを描いていて、居ますが如く行じてきました。
 迎え火と送り火 キュウリやナスの馬 提灯 初盆飾りとお墓参り ・・・・。
 海水浴はお盆に入るとしてはいけない(あの世にご先祖様が連れて行くという・・)・・。
 自分の臍をいたずらしていたくすると溝廻りを塩を撒きながら3回廻ると治る。
 ミミズに誤っておしっこをかけるとおちんちんがまがる。
 夜、爪を切ると親の死に目にあえない。
 夜、口笛を吹くものではない(魔物がやってくる)。
 烏の鳴きが悪いと不幸がある。
話は迷信?へと進んでしまいましたが、迷い信じるもまた真の信仰だと思います。
うそだと言う人、見えないからなお更です。見えないからどうでもいいんだという人には、
どうでもいいのです。
逆に見えないからことさらきちんと事を進めるのが仏教的考え方です。
人間には自然治癒力というものを持っています。許せるまで自分の力で治そうとする力です。
そして鎮痛(ペインクリニック)を主とした医療が見直されているようです。
痛みを鎮めて痛みを改善し、人間としての生きる道を生きるような、そんな元来持っている
人間性を回復しようとする医療です。

お盆のお参りにあるお檀家さん宅へ伺った。84歳になるお婆さんです。
山菜取りが好きで、ちょっと前まで車の運転をしていたそうです。去年の2月からお伺いしてましたが、
半年たって様子が可笑しくなった。(ボケが見え隠れしていました)
伺うたびに、「2階の嫁が位牌を持っていって返してくれない(もともと無かったのに)」と話し掛けて
きます。3ヶ月たってビタッともとに戻りました。
その後の話です。
 「よくまあ、その年で山菜取りにいくねえ」と知人から言われたそうです。
 「事故や体調でも悪くしたら大変なのに、そんなことしなくたって八百屋さんで買ったらいいのに」と。
そうしたら、お婆さん奮起しいってやったと。
 「あはあ、あんたには山菜取りがわかってないね。自分の健康もそうだけど、大自然の恵みに今回も
 感謝できるということを知らない。八百屋で買うことは簡単だよ。
 金魚が新しい水を得て生き生きするように、お金では買えないものがあんだよ。」と
それ以来、その知人とはお付き合いしてないそうです。
”山の空気、鳥の鳴き声を感じ、次の日、身が軽くなるような思いができるのに”と
切々とお話してくれました。

盆という字も 皿に分けると書きますもんね。多くの人にそんな気持ちを沢山乗せて分け与える事を
したいものです。 お盆のあとでそんなことを考えました・・・・・。