結果を出す。

ソチオリンピックも閉幕した。
いろんなドラマがまた展開した。夢と希望そして勇気と感動をいただいた。

ひとつ気になることがある。口々に「結果をだす!」とか「結果を見てて下さい!」とか
それそれに云う。 自らを奮い立たせているのだろうが、聞いている(応援)側にとっては
入らぬ期待を持つものだ。
期待に添えればそれにこしたことはないが、そうでなかったときを考えるとそこまで言い切って
いいのだろうかと不安が付きまとうのは私だけだろうか。

新聞のコラムにこんなことが書いてあった。
”名作野球漫画『巨人の星』が好きな要職にある人の企業は要注意  ~(中略)~
 根性で困難を乗り越えるスト-リ-に夢中になった。それが危ないという。
 会社が危機になったとき、思いこみと試練で物事を解決しようという人たちへの警告である。
 ~(中略)~ ソチオリンピックで成果を上げた多くの選手は「諦めなければ夢はかなう」といい、
 人一倍努力したはずなのに夢に届かなかった選手も多かった。
 明暗を分けた理由はきっと複合的だ。
 もっと説得力があるコメントは『多くの人に支えられた』だったろう。”

「頑張らなくてもいいから、諦めないでね」と常日頃広言しているのだが・・・・・。
仏教者は原因と結果を繋ぐ、縁が大切なことが承知な上でと付け加えたい。
良くても悪くとも結果は結果。 本当の夢はまだまだ先に有ることを信じて・・・。