いのちの学習。

ある小学校での話。
私たちは三度の食事に際して「いただきます!」「ごちそうさまでした!」と唱えるのが当たり前だ。
でもその当たり前を覆す事件?が起きたのである。
あるとき、この「いただきます」「ごちそうさまでした」がその学校では”宗教的な言葉”だから今後
一切給食のはじめとおわりにあたっては使わないようにという御触れが出たそうである。
児童の家庭ではよく躾けられていたこの言葉が宗教的だからという理由で使わないという担任の
先生からの言葉に皆が戸惑ったそうである。
しかし、担当の先生からのお言葉であるがゆえに従うことになる。

いよいよ給食の時間になった。
(手を合わせたのかどうかわからないが)、担任の先生が『笛』吹いたのである。そして給食が始まった。
いつもと変わらぬ美味しさに児童は食した。
時を見計らって担任の先生が『笛』を吹いて給食の時間を終わらせたのである。

この話を聞いて愕然とした。
あなた(動植物)のいのちを我がいのちとしていただくのである。
人として大切な衣・食・住である。その”食”を簡単に済ますこの行為に憤りさえ感じた。
食から私たちは学ぶべきことを祖父母、両親らから教えていただいた。
そこには躾があり、作法があり、感謝が宿っている。
こうなると単なる食事(たべごと)でなく”エサ”だ。私たちはエサを食べているのではない!
教えられた児童はいまごろどう社会に一滴を投じているのか・・・・・。

いのちを使うと書いて「使命」という。
私たちの人生の目的は何なのか、生きている意味は何なのだろうか?
このいのちを何に使うのか。 ご先祖さまから受け継いだこのいのちを私たちは一生かけて
どのように使うのだろうか。
その内容によってその人の人生が決まってくるのである。
この大切ないのちを粗末にすることなく、意義あることに使って行きたいものである。

お彼岸です。 いのちのバトンリレ-を考えてみませんか?