懐かしい昔の道徳。

小中学校で「道徳」が教科に格上げされるという報道に安堵している。
当時は、当然のように道徳の時間があった。
高校では、倫理社会という時間があった。

先月の新聞メディアでは、政権に対する批判じめたことを羅列している。
「愛国心育成」「いじめ根絶」・・
先生の顔色ばかりを気にする”ヒラメ生徒”(こんな表現もあることにビックリ!)の出現。
さらにト-ンはヒ-トアップする・・・
”徳の有る無しをどう分けるのか”
”特定の価値観のおしつけにならないのか”

そして究極だと思うのは
”対立する多様な価値観に誠実に向き合い考えつづける姿勢を養えるか”
”徳目を一本調子に説教されても身につくものでない”

辞書には
1人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。
外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。
2 《道と徳を説くところから》老子の学。

丁度、私が生まれた(S33)時に制定され小中学校で行われる指導領域だったそうである。
人として身につける躾や作法、習慣、慣習などなど基本的なことを教えてくれるのが道徳だと
思う。
禅の道もこれだということはない。生きてゆくべきヒントをそのことに学ぶのである。
そこから先は本人次第。だから学校だけで道徳は学べないのは当然である。
でも道徳を教えないから、自由を平等をはきちがえていると思う。

人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだという(ロバ-ト・フルガム氏)著書に
共感する。 あの頃の道徳教育が懐かしい・・・。