10月に入ってしまいました。そして、10月5日の達磨様のご命日も過ぎてしまい、
お話も送らばせながらとなってしまいました。
さて、修行という言葉はご存知かと思います。元来仏教語であって、インドの言葉を
中国語に訳したもので、「くり返して身につける」という意味だそうです。
だから、仏道修行というのは、仏道に常に近寄りそれが身につくようにすることだと
いわれます。
また、修行とはいわば訓練ですから、仏道修行は、私が迷いの心のあり方から
段々向上して最後に仏に至る・・・・それを解脱だとかさとりとか言うわけですが・・・
そういう訓練のように思えます。
しかし、よくよく考えてみると仏の世界を私の世界から遠く離れた遥か彼方に
想定していますが、実際の仏の世界は、向こうから私の心の世界へ向かって
働いてくれているのだと思います。
だから、その仏の方からの呼びかけに、私が気づくというか思い出すという、
一瞬一瞬に応じるように努めるのが修行ではないでしょうか。
念仏の念は、いまのこころと書きます。
私が知らないでいるのにいつの間にか仏が私についていてくれたことをハッと
感じる経験です。その経験を失わぬようにするのが修行。

最近、恥ずかしながら解ったことが2つあります。
ひとつ目は「男は度胸、女は愛嬌、○○は○○」というんだそうです。
皆さん、解りますか? 先日、田舎に帰ったときに師匠である父に問いかけた
ところ、オウム返しのように間髪入れずに返答されました。
 ”決まってるだろう「坊主はお経!」。”だと・・。
よくよく考えてみると、男性は男性の女性は女性の持分を充分生活に
生かしているのか、坊主は坊主の(その職職での役目を果たしているのか)
ことに専念しているのかということを訴えかけていたのだなと思います。
もうひとつは、煩悩には108つあると云われています。除夜の鐘も108つが
基本です。
なぜ108という数字がでたのか。 どうでしょうか?解りますでしょうか。
四苦八苦という言葉は、ご承知のこと。ここから108が生まれたんですね。
四苦八苦の意味は、以前書いたとおりですが、ここに算式があるという訳です。
四苦(4×9)+八苦(8×9)=108
どうでしょう。不思議なご縁です。

まだまだ修行が足りません。一生勉強・一生青春・一生坊主?です。
        

修行がたらん!・・・