お経、短くお願いします~?

私自身(函館に来て)35年目の檀務法務ともなると気転が効くようになるものである。
信仰の厚い北海道だと師匠から聞かされていのだが、当時を振り返ると
奇妙なことにぶつかっておどおどしていた自分が恥ずかしい。

毎日月参りが大切な布教でもあるし、お寺の財源となっていることは事実。
「お寺さん~ 来月は祥月命日なんですが、いつもより長くお願いします」
さらに「故人に有難いところ(お経の箇所)を聞かせてやってください」と云われ困った
自分がいた。  まあそこまでは気持ち的に許すが、
「今日のお参り、ちょこっとでいいから 短くていいから・・・?
御布施はいつもどおりに出しますから」と。
  (そういえば以前、「御布施いくらですか?」と云われ、「色付けて下さったら」と
        云ったら、即座に「何色ですか」って云われ苦笑いしたっけな~)

こうなるといまでは「自分の都合で供養をしないでくださいね」と問いかける。
特にご法事などを考えたら、「一体誰のための、何のための法事でしょうか?
やはりご法事というのは、亡き人を偲び、その冥福を祈るためにするのですから、
亡き人を中心に考えるのが本義でしょう?」と問い詰めたくなる、当然なこと。
ところがこの頃は生きている人が中心で、ご法事をする日は大抵日曜日、お経の
時間は短く、その短いお経の時間でさえ私語を聞くことがある。

私たちは冠婚葬祭には、どんなに忙しくても何とか都合をつけて集まるものである。
それは親族が改めて日頃のご無沙汰を詫び合い、これからも仲良くやっていこうと
いう親族の縁を強める場でもある。
そしてご法事に限って言えば、亡き人が生きている者の集まる機会を作ってくれた
ことにもなる。だから亡き人に感謝してこころからお詣りすることが大切なのである。
自分のすることを子や孫が見ていますよ。自分がお経を短くすれば、あなたの番の
時にも短くなるんですよ!自分がしてもらいたいことを、亡き人にもしたいものである。

しかし、昨今夫婦だけての法事とか事情はさまざまであるが、自らの後姿を見ることが
ない。いやできないでいるのも現状である。
その折にはこう伝えている。
「家族が一同に介したときは、自らの出所進退を子供、孫さんに伝えてください」
「過去の法事の話や葬儀の要望、今後の供養の仕方や子供としての供養の仕方、
インターネットからの情報を置いて直にお寺さんに聞いて下さい」と。

4月、新年度です。こころ新たにしたいものです。