間の置き方

高座に落語家が出てきました。彼は、高座に姿を現すなり中央まで歩いて、
座布団にすわり、お辞儀をしました。

ただこれだけで、この落語家は巧いか、拙いか解ってしまいます。。 
ただそれだけでの動作、あるかないかの表情、その中にバランスの破れた
所があったら、これはもう拙いに決まってしまいます。
話をする場合、言葉だけの研究では足らず、その言葉に持たせる「間(マ)」
の研究、話している間の表情動作すべてにわたるバランスの研究、そのまで
行かないと満点とはいえません(話術 徳川夢声著)。
改めて自ら照らし合わせて反省する部分が多々多き事・・・・。

ロ-タリ-クラブでの卓話、他寺院での説教、出張での法事、近くでは通夜
説教といろいろ特に先月下旬には続いた。
ちょっと趣きはことなるが、ロ-タリ-クラブ例会600回でのアトラクションとし
てゲ-ムを企画した。全体的にはみな喜んで盛り上げてくれたのだが、場の
雰囲気、持ち時間の制限、用具備品との絡み・・・・。
一歩間違えば白けてしまうところだった。 ここにも「マ」が見え隠れしていた。
またに「勘(カン)」も必要であるということを反省した。

話術とは「マ術」なり。「マ」とは動きて破れざるバランスなり。
徳川夢声さんは、それらの研究はどうするのかと思うが、答えは平凡、沢山の
経験をつむこと、絶えずその心構えでいること、これだけだと。
「なにか”マ”の簡単にわかる虎の巻はないかい?」だって?
そんなものはありませんよ!何しろ「カン」の問題ですから・・・・・・・。

どきっとした。恥ずかしかった。
まだまだ「間」「勘」できていない。
所謂、間抜け・勘違いの私である(残念!)。 ただただ精進努力あるのみ。。。