そこに際あり、際がある。

際=きわ と読む場合と 際=さい と読む場合がある。
どうして急にこんなことを思ったかというと、いま校正している日は『平成』
あと二日で幕を閉じる。
そしていまこのお話しを開いてみた貴方、『令和』の時代となった。
たった三日経っただけなのに心身新たになったような気がする。
まるでお祭り騒ぎのようだ。

さて、
私はこの文字を見たときにすぐ浮かんだのは「引き際」であり「瀬戸際」であった。
いまでも思うところに、あの時こうしていたら違った人生になっていたのに あの時の
出会いをプラス思考に考え実行していたらどうなっていたのだろうと懐古している。

この「際:きわ」、辞書を開くと1、あともう少しで別のものになろうとするぎりぎりのところ
2、あるものにきわめて接近したところ 3、物事がそうなろうとするまさにそのとき
4、物事の極まるところ 5、身分。家柄。 6、才能・器量などの程度 7、ほどあい
8、江戸時代、年末・節季の決算期

次に
「際:さい」、1、とき。場合。機会。 2、物と物との接するところ 3、出会う 
4、接して交わる 
思い出すのが「交際」「国際」「実際」など・・・。

「きわ」は線から面への移行部分であり、「さい」は点から線への基であろう。
常無きものは何一つないと法事等で今日も豪語したが、点を線に 線を面に変える
役割は僧侶である自分にあると思う。

そこに桜が謳歌している
《散る桜、残る桜も 散る桜・・・》
函館は令和元年初日、満開である。
平成の際と令和の際・・・・。そこに際あり、際がある。
良き時代となりますように・・。