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コロナ禍のなかの信心

あれだけ感染者に敏感だった7月から8月に掛けてのピ-クとなった数値。
いまではそんなに動揺しないような、マンネリ化しているような風潮である。
いつまでも疫病に打ちのめされるか!と云わんばかりである。
しかし、いろいろな業種や団体もまだまだ反動が大きい。
我が業種もいまだかつてないこころの有り様をどう説くか悩んでいる。
表面を繕うかのように、他の業種に真似?てか(そう言ってしまうと批判を
うけるが)オンライン法要をしてみたり、ORコ-ドを巧みに使ってお寺を
紹介したり・・。それはそれでいいのだか・・。

さて葬儀に関しては葬儀自体の社会的役割が変わってきたのは知るところ
であるが、コロナによってこれまで簡略化を躊躇していた人も「3密」対策と
いう動機付けが生まれた。変化はさらに大きくなるだろうと心している。
江戸時代以降、檀家制度に支えられ、平々凡々?と暮らしてきた寺院は
どう変わるのか・・・。

ある地方紙の夕刊に”お見送りの形 多様化”と題して記事が載っていた。
就活の一端に散骨を取り上げての記事である。コロナ禍とダブって映るのは
私だけだろうか。
記事のなかでそれぞれの想いを取り上げていたが、自らも心柔軟に観方
考え方を洗濯しなければならないと思った。
 「散骨は母の生前の願い。厳粛なお葬式とは違い、
   小さな子供も海を楽しみながら、レジャ-感覚で見送れた」とか
 「海があれば世界中どこでもお参りできる。埋葬法の多様性を知って
   もらい、海洋散骨を選択肢の一つにしてほしい」
樹木葬もしかり・・・・・。昨年11月に直葬を目の当たりにしたことも事実。

地方紙は結びに『「檀家だからではなく、この住職に葬儀をお願いしたい」
と思ってもらえるような新しい関係を寺院がどう築いていけるかにかかって
いる』と示していた。
同感である。