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そこには即効性と副作用がある

特に身体に変調をきたしたときに縋るのが薬である。
とにかく薬に頼り、今を脱出しようと服用する。
私の長年の経験?から、「風邪にはパブロン!傷には赤チン」が今でも身についている。
信ずれば救われるではないが、よく効くのである。
考えてみると迷信のような、お呪いのようなことも子供のころから身についている。
改めて「迷信」と題して書こうと思うが・・・・・。
さて、
子供のころ、臍のゴマが気になって臍を弄ってそのゴマを取り出そうと奮闘した。
ゴマは取れた。そしたらそのゴマはどんな味してるんだろうかと口にした。しかし無味だったが
臍にあったときからの妙な異臭が突き刺さってくる。兎に角、臍のゴマというものは無味異臭を
放つものだと学習した。しばらくするとお腹が痛くなるまえに臍が赤く腫れて痛くなった。
父親に、これこれこうで臍が痛いと云ったら
                       (当時隣接していた畑の下水が溜まる溝(どぶ)があった)
溝の周りを3回塩を撒いて回ってこい!と云われ仕方なく回った。
しばらくすると不思議と治ったのである。子供のころのほんの思い出の一つである。

というのも先日の仏間での御祈祷の話。
その方が久しぶりにご先祖のお墓参りをした後、夜も眠れず体調が思わしくないという。
知り合いの勧めで御祈祷に縋った訳である。
いつものことだが、30分近くの御祈祷と先祖供養をし終わって一段落すると変化が現れる。
少しは明るくなっていたが顔が強張っている。数日後、またお願いされ、40分ほど全身全霊を
込め、御祈祷を施した。祈祷中、すすり泣く声と零れる涙をふく様が伝わってきた。
前回とは数段上の容態が見え一安心。だが、まだ治まっておらず、3度目の祈祷になった。
本人の覚悟が伝わってくるのを感じた。
一応これで区切りますと断言。本人の明るみが見えたからである。
翌日、見違えるほど陽気に明るく振舞って仕事にも精を出せるようになったようである。
御祈祷にも通ずる「即効性と副作用」。確かに御祈祷してすぐに良くなったという方がいる。
しかし、すべてがそうではない。縋るなにかを持たなければならない。それが副作用という
ものであると私は思う。
その方を頼ってやってきた見えない方。思いを本人に馳せるために来たことを感得し、
丁寧にお返ししなければならない。私にとってはこれが副作用である。
副作用があるから即効性を感じ、即効性に縋るから副作用を覚えるのである。
どちらも大切なのである。即効性に甘えてはならない。副作用に怯えてはならない。

我々もそこを踏まえて布教せねばなるまい。
一過性の事象だからといって軽々しく行ってはならない。
正々堂々と諭さなければならない。私にとってはそれが御祈祷である。