やむおえない?

”達磨大師が壁に向かって坐禅をしていました。のちに弟子となった慧可(えか)曰く「私のこころは、
いくら修行しても落ち着きません。どうか、私を安らかにしてください」と。
達磨大師は答えました。「不安なそのこころとやらを持ってきなさい。そうしたら、安らかにしてあげ
よう」と。
結局、「そのこころを求めましたがついに得ることができませんでした。」と達磨大師に慧可は打ち
明けました。大師答えて曰く「よしお前のこころは安心(あんじん)し終わったぞ!」といいました。”
さあ皆さんはどう解釈しますか?
会社で家庭で地域でそれぞれの場所でそれぞれが一喜一憂していますよね。
「そんな浮ついている己のこころを持って来い」と言われ、「ついにこころを取り出せなかった」と感服。
それがもうすでに我が心なんだから「よかったね。純粋なこころを地域社会に役立てましょう」と返さ
れたと思います。
安心・安らかなこころというけれども、不安なこころのみを捨て去り不安に勝つこころのみで自らを
支配するということではないと思います。
不安とそうでないこころ、両方あるのが生身の人間。不安なら不安、不安でなければ不安でない。
そのときそのままがいいのではないでしょうか。
人間、自らの姿を100%見ることができたら自殺するという人がいます。
何でも見える立派な?二つの眼も自分の顔や背中は見ることはできません。なにかの手を借りて
見ようとしているだけです。
眼・耳二つに口一つ。言った分だけよく聞けよく見ろとはよく言ったものです。

最近話題の本に『問題な日本語』大修館書店 北原保雄著 があります。
その中で、”やむをえない”を”やむおえない”と書いたり”やむ、おえない”と発音したり人がいると
言うのです。どうかくのと尋ねられました。一瞬戸惑いましたが『止むを得ず』と書きました。
この本によるとそのとおりで「や(止・己)む事を得ず」が語源だそうです。(事が省略されて)
”おえない”を”終えない”のように誤解している人もいるというのです。
普段何気なく見書き聞きしている言葉でもこうして取り上げられますとあたふたしますね。
安らかなこころとそうでないこころが絶えず交差する中で、病むを得ないことを願って
今日も頑張りましょう!   お彼岸ももうすぐです。
寒さ暑さも彼岸まで・・・・・・。            ご機嫌よろしゅう・・・・・。