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ソロ社会という・・・。

治まりをみせない新型コロナウイルス感染。毎日のように感染者数に一喜一憂。
知り合いの方は、コロナ鬱に罹ってしまった。
少し前なら一人は孤独感を覚えていたが、コロナ禍の効用だとある宗教新聞が謳っていた。
社会的距離という言葉もいまや物理的距離になって、人間が社会的存在である以上、個人
と社会とは切り離せない関係にある。
そんな中での一人である。一人で仕事をしたり、余暇を過ごすことの意義を再発見している
というのだ。確かに、一人焼肉とか一人飯 将又、トイレで個食(孤食)などなど。
それらをソロと表現し、ソロキャンプという言葉まで流行語になった。
ソロ社会・・・。
一方で、人間はつながりを求めて今日までこれからも縋って行く。
いままでは横のつながりを重視してきたのだが、これからは縦に目を充てることである。
着物を織る横糸と縦糸の関係であろう。絶妙なバランスを引き立てる縦糸と横糸の曳き合い。

また、一人で神仏に向きあうことが己の再発見であろうか。
神仏に対峙することで生死の問題、葛藤、不思議、安心が深められと思う。
深く、お釈迦様は『自灯明 法灯明』(じとうみょう ほうとうみょう)という言葉で我々に指針を
与えている。
 お釈迦様の臨終をお世話したのは、多聞第一と云われた阿難尊者です。
 釈尊の十代弟子の一人で、多聞とはお釈迦様の説法を一番多く聞いた人という意味です。
 尊者はお釈迦様に聴きました。
 『お師匠様亡き跡、私は何をよりどころに生きてゆけばいいのでしょうか』
 お釈迦様は伏せたまま、『自分をよりどころとしていきなさい。法(お釈迦様の教え)をより 
 どころとして、他のものをよりどころとしてはいけません』と。
人間に与えられた試練です。善き方向にするのも悪しき方向へ向かうのも自らです。
ソロ社会を堪能しようではありませんか。きっとその先には明るい光がさしています。