,「偽る」ということ。

この年になって初めて勉強しました。
確かに人の為と書いて偽るですね。なぜ人の為と書いて偽ると読むんですかね。
というのも先の北海道新聞卓上四季にあった「誤魔化す」(=当て字であるがと
題してのお話しを読みました。
  護摩木を焚いて供養の品を供える密教の修法護摩には依頼者の息災や増益の
  願いを叶える目的がある。~ところが人の欲望には限りがない。平安時代には
  無理難題の依頼が殺到。一つしかない摂政、関白の座を巡って、藤原氏一族の
  十数人がその地位を欲するのだから叶うはずもない。実現不可能なのにもっとも
  らしく修法する。その様を「ごまかす」と云うようになった。
  中世には弘法大師が焚いた護摩の灰と偽って売り歩く輩もいたそうだ。・・・
ここに登場する「偽って」とは。
「為」とは 「手」と「象」から出来ています。人間が象を手なずける様子を表しています。
そこに人偏がつくと、人間が作為的に手を加え、本来の性質や姿を矯め直すと いう
意味になるそうです。
要するに人の作為で姿を変える、正体を隠して上辺を 取り繕うという意味から「いつ
わる」となったとされています。

ところで、私たちは日常生活の中で、よく「誰の為にしてあげたと思ってるの」 「あなた
の為を思ってしてあげたのに」などの言葉を使ったり、聞いたりすると思います。しかし、
突き詰めていけば、自らの尺度・基準の中で都合の良し悪しを判断し、行動に移して
いるのであって、その者の本来のあるべき姿に私達が手を加えている「偽り」とも言え
るのではないでしょうか。
私達は真実の心に出会うために、自分自身と向き合い、偽りを偽りと判断できるように
仏法の教えに触れていくことが大切であり、そこではじめて「偽りのない真の心」を持つ
ことが出来るのではないでしょうか。

誤魔化すの類義語には「誑かす(たぶらかす)」や「謀る(たばかる)」「まやかす」などの
言葉が挙げられます。
言ことが狂っている 言うことを暈したり・・ 気を付けたいものです。
今月は7月盆の月です。せめてご先祖様には偽りたくありませんね。