痛いの痛いの飛んでけぇ〜

i小さな子供が公園で遊んでいた。お母さんは、ベンチで様子を見ていました。
お昼の時間も迫って来たので、わが子を呼びました。
”孝平!おいでぇ〜” 一目散にお母さんのところへ走ってきました。
と目の前で転んでしまいました。子供は大泣きです。”痛いよ〜痛いよ〜”・・。
お母さんは聞きます。”どこが痛いの・アンヨ?お手て?”
泣き止まないわが子にお母さんは痛いところを摩りながら言いました。
”痛いの痛いの飛んけぇ〜” ”孝ちゃんの痛かったの無くなれ〜”
すると不思議と子供が泣き止みました。

子供を持つ親なら一度は経験されたことでしょう。
不思議と治ってしまうのです。親のいる安心感と同情とお呪いの様な言葉と吸い取ってくれる
ような力を与えてくれる念力です。
これが、簡単に”はい、大丈夫直るから”だとか”我慢しなさい”だとか言われたらどうでしょう。
余計に痛みもこころが加わって倍になってしまうことでしょう。

「生死(しょうじ)のなかに仏(ほとけ)あれば生死(しょうじ)なし」 と曹洞宗開祖道元禅師様は
『正法眼蔵 生死の巻』で説いています。
自分の身体は自分のものでなく仏からの預かり物。その仏に自分の心身をすべて投げ入れた
時に初めて悟りが開かれ、本当の自分になれると。
裏には本当でない自分も背負って生きています。
”痛いの痛いの飛んでけぇ〜”
本来の自分を自覚するには、自分以外のところ(数段上の仏の境地)から自分を観てみることを
努力してみましょう。
そうすると立場や身分を笠に着て偉そうに振舞ったところで、いかに愚かな存在であるかに
気づかされたら痛みもとれ、痛みからヒントが見出されることになるかもしれません。