「在(いま)すが如く」の極意

i種田山頭火の句に
   ”うどん供えて母よ私もいただきまする”  に出合う。
いまは亡き父母、ご先祖の位牌や遺影、墓前に食べ物や飲み物を供え手を合わせ、お拝、念仏を
唱えたりすることは日本民族の「こころ」とも云うべき美しい伝統的な行事です。
そんなこころを粗末にするような「宗教的言動」が世間に氾濫している今日であります。
人間的感覚で”仏様に供え物したって食べないだ”とか”位牌や塔婆や墓石は人間が勝手に創造した
偶像にすぎないだ”とか堂々ということに寒気を感じます。

『在すが如く』・・・・・・。
亡くなってもう彼此7年にもなる勤務寺の老師が常々言われたことを思い出します。
「拝むときには、そこにお釈迦様が・ご先祖様が・故人が、居らっしゃることを観想しながらするもんだ!
文章を書くときには、相手の気持ちを察しながら書くんだ!
物事を判断するときは、相手の立場になって決断をすることだ!」と・・。

在すが如くと念じよう。自然と力が湧いてくる。
在すが如くと唱えよう。自然とこころが落ち着いてくる。

     照り続くうら盆の昼下がり
            涼しかれとて墓に水うつ

お盆の月(7月/8月)、いま在る自分に感謝してみよう。
故老師、いまどこにいらっしゃるのですか?
お加減はいかがですか?