「現実と幻実  感性と耐性」

「メ−ルで饒舌、会えば無口」
ケ−タイかパソコンをさわりつづけないと不安な”パソコン依存症”が増えているそうである。
腕時計はない、電卓なし、ましてや算盤ってなに?と・・・。
すべてケ−タイ・パソコンで済ませている。
「ドットコム世代」といわれる「スクリ−ン世代」なのだそうだ。

子供の運動会や発表会、映画の録画に討論会。
わが子だけをスタ−にし、失敗した部分はカットする。CMは録画しない。
リセットせずにその部分を編集できる。至れり尽くせりである。

「ぶっ壊す」とは先の総理大臣であったが、表現に一問ある。
在る小高い山の上に、大きな松の木があった。
その根っこが云った。「俺も松の枝のように、日を浴びて大きく羽ばたいてみたいもんだ」と。
土地の神様にお願いしたが許してもらえなかった。
そこに青い眼をした神様がやってきて、お願いした。その神様、快く聞いてくれ根っこを土から
掘り出してくれた。   1週間すると松の木が弱りだし、10日たつと枝が枯れ始めた。
2週間後、とうとう松の木は死んでしまった。 山ごとぶっ壊してしまったのである。
大切なものは見えない。隠すべきものは隠すことだと思う。
特効薬はその場しのぎ、副作用を伴うことを忘れてはならない。

現実と幻実の交差、退化する感性と耐性。
お願いもお見舞いも手紙にせず、メ−ル。
中間にあるはずの思考や風景が我がこころから消え、時空感覚が変になる。
特急や急行や快速で止まらない駅がことごとく意識から消えていく。そうすると送ったメ−ルも
返信がないのが不安でしょうがない。遅い反応は怒りと攻撃性を増すようである。
いつしか、待つ楽しみや育てる忍耐や見届ける優しさなど(耐性)を亡くす原因を作ったようである。
8月のお盆の月の風情を楽しもうではないか。人間性の退化につながらないように。