ただの人は奥深い

総選挙もたけなわ。選挙に落ちたらただの人という。ただの人にならないようにいろんな手立て
を企て有権者に判断を委ねる。 決め手はなにか。 公約、政党、政治家? 

「ただの人になる」。ここでいうただの人とはそんな人でない。
兎角、生きて行く上で他に(動植物すべてにも)散々苦労や迷惑をかけておいて
その本人が死んだり不幸な目に遭っているのを垣間見て、他人の前では殊勝ちらしく同情している
ふりをしますが、内心は見て見ぬふりをし、できれば逃げの一手という恩や恥知らずの気持ちに走り
やすいようであります。
”そもそも良き精神を持つだけでは不完全であって、良き精神を正しく働かせることが大切である”と
フランスの思想家デカルトは論じています。
街頭に立って「ひとには愛を」とか「平和を実現しよう」と叫ぶことも必要ですが、周囲に苦しんでいる
人がいれば黙って救いの手を差し伸べ、いざこざを和し、何事もなかったかのように立ち振る舞う人も
います。
一人ぼっちで生きられない存在である事を再発見しようと思います。
他を愛するよりも、他から愛されたいと願っているような人には、愛情や友情など、もしあるとしたら
魚に餌を与えるようなもので、釣ってしまったら用がなくなることでしょう。
愛について”人間の互いに大切に思うこころを結び合わせる主動者である”と定義したキケロ。

施す側、施される側、施す物が三つの車輪のように上手く循環して空・寂(=ただ)で自然体にな
ることが必要ではないでしょうか。それが三輪空寂(さんりんくうじゃく)です。
お母さんの握ったおむすびのように。そのおむすびが、おにぎりとなるように。
手から手へ言葉を添えて活きたいものです。
味覚の秋、読書の秋、こころも身体もただの人になろう。