無功徳(むくどく)

私の母は私が高校生のころから自律神経失調症(いまでいうメニエルとか)を患い、約12〜3年床に
臥せっていた。自分で弁当を作り、夜は父や弟らと協力してご飯を作ったものである。
あっちの内科、こっちの精神科、どこどこの脳神経外科・・と父は母の回復を願い、病院を転々とした。
母も母で”なにくそ”と努力していた。
見かねた父はあるとき母に、「本堂の裏に行って坐禅でもしてみろ」とアドバイスしたのである。
懸命に仏様に縋り、自分に喝をいれにかかって数年・・・・。
般若心経や舎利禮文などのお経も取り入れ、懸命に病魔と闘ったようである。
機が熟したというか、仏様に救われたというか、坐禅の効用が見え隠れした。
ついに、母は坐禅という家に身も心も投げ入れることができ、完治はしていないが日常生活ができる
ようになったのである。
いまでも”坐禅をして病気が治った”と時々言う。お陰で、現在76歳を縁命している。

10月5日はご存知のとおり、達磨さん(菩提達磨大和尚)のご命日である。禅宗の初祖と云われ、お釈迦
様から数えて28代目の祖師である。
いまの赴任先のご本尊は達磨様である。その達磨様に誘われ、はや2年と9ヶ月になる。
ところで、インドより中国に仏の教えを広める為に渡られた達磨様。
当時の中国・梁の武帝との話は有名である。
 武帝:私は、これまで多くの寺院を建立し、写経し、大いに僧に供養した。これに対して必ず何らかの
     功徳があるのか?
 達磨:無功徳(功徳は無い)
 武帝:なぜ無いのか。
 達磨:あなたのしたことは、みな何かの報いを得たいという気持ちがそうさせたのであって、人間や
     天上人の間に得られる果報であるが、真実のものではない。

見返りを求めなにかをしている人がいる。
先月のお話ではないが、三輪空寂の道理が解っていないのである。
坐禅をする人(受け止めるこころ)、坐禅に導く人、その場所、すべてが清浄でなければならない。
そして、母は坐禅で日常復帰ができたのである。
さて、私は本当の坐禅をしているのだろうか。
毎朝、達磨様に問いながら今日もお経をあげた。