どこまで本当?

仏教では「ウソも方便」という。行動学には、「世の中に正直者しかいなかったらどうなるか」
こんな議論を展開しているらしい。
正解は「嘘つきの繁殖に適した環境が生まれる」という。
ある教授の研究捏造、IT企業のマネ−ゲ−ム的経営と踊るメディア、耐震偽装・・・・と。
まるで世間がホントのようなウソのようなことばかりである。

仏教思想家ひろさちやさんの著書のなかのお話が、ほのぼのとして好きである。
 インドに泥棒の名人がいたそうです。(捕まるくらいだから名人とは・・)
 マカダ国のある有名なお寺(天竺寺てんじくじとでもいいますか)がありました。
 お寺には純金の仏足石(ぶっそくせき)がありました。当然、この泥棒の名人は、
 この仏足石が欲しくてたまりません。
 この名人、お寺の和尚さんに頼んで出家させてもらいました。僧名を”珍念”として
 頂き、修行して立派な(みんなの信用をしてもらえる様に)お坊さんを目指しました。
 そうして何年か経ちました。(もういいかなあ〜)とときどき珍念さんは考えます。
 しかし、(まだまだ危険だ)と思って盗みを躊躇います。その間もまじめに修行に
 励んでいます。 それから何年か経ちました。それからまた何十年か経ちました。
 ついに珍念さん、天竺寺の住職になってしまったのでした。
 そうなると純金の仏足石を盗む必要もなくなりました。だってそれはもう住職である
 珍念さんのものですから・・。
 本当はこの珍念さん、仏足石を盗み出すことを忘れてしまっているからです。
 珍念さんは、本当のお坊さんになってしまったのでした。

過ちはだれにでもある。原因はそれぞれあるが、最初の目的が別な方向に向かってもいいでは
ないか。結果を生む縁に支えられながら・・。 誰が嘘つきと決め付けるのか。
「世の中に嘘つきしかいなかったら、正直者の繁殖に適した環境が生まれる」
                               と逆に思うのだが。
ウソも方便とはよく言ったものである。 こんな世の中だからよく考えてみたい。
ウソとは、ホントとは、方便とは。