記念日と記念の日

いつだったか、2月11日が建国「記念日」ではなく「記念の日」だということの論争があった。
どうでもいいことではないらしい。思想や信条によって賛否があるのだそうで、この2月11日は史実に
基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事象そのものを記念する日であるという考えによるもの
だそうだ。
”〜の日”となると年間を通して14日(元旦/天皇誕生日を入れて)の国民の祝日を数える。
若いカップルはなにかにつけて記念をする日を定めているようである。
きょうは、二人が出会った日。はじめて遊園地に行った日。二人でピザを食べた日・・・・・・・。
あげたら限がない。でも、そういうことで彼ら彼女らは人生に節度をつけ歩んでいるようである。
旅行に出かけるとお土産もそうだが、デジカメで思い出を残そうとかいって撮影してくる。
時を刻んでいるのである。そこにゆとりを求めているかのように・・。

ここでまた宗教評論家のひろさちやさんに登場していただこう。
先日、北海道新聞の中の「ほどほど人生論」というコラムに”安全ガラスの発想”と題して論説していた。
 『昔の商家では、閉店後のレジスタ−を閉めずに少しのお金を入れておき、万一泥棒が侵入したときに
 泥棒に持っていってもらうためだそうです。 「泥棒に追い銭」と云わんばかり・・。
 しかし、そのレジスタ−が 閉まっていたばかりに壊され修理代が、また予期もしない強盗に変る
 可能性があるというのです。それが昔の人の生活の知恵だというのです。
 この考え方ををひろさんは、〜ゆとり〜 だと表現します。
 安全ガラスには2種類あって、強化ガラスと合わせガラス。破片で怪我をしないようにいづれもさまざまな
 工夫がされている。 つまり、割れないガラスを作るのでなく安全に割れるガラスを作るということだと。
 この発想を先の犯罪に当てはめると・・・・・・
 犯罪なしは理想ですが、ゼロにはならない。とすると凶悪犯罪をなくすべきで、そのためには小さな悪
 には 眼をつぶってあげたほうがよさそうだと。泥棒が強盗に変じないように、泥棒に小銭を持ち帰って
 もらう、 そんな「ゆ・と・り」がほしいですねと』

6月10日は時の記念日。父の誕生日でもある。
時は金なりというが、いい施しをしたいものである。そうするといい時という、素晴らしいゆとりという
お金となってやってくる。
また今日6月1日は母の誕生日でもある。そして6月26日は我が夫婦の結婚記念日である。
この6月と云う月はいろんな記念日があり記念の日を回想する月でもある。