2006のお盆に想う

この月になるといつも想う。「もう年の半分が過ぎてしまったと・・」。
この月になると改まる自分がいる。「お盆は(お檀家宅)お参りいいですから・・」
月参りと盆参り。慣れっこになっている自分とお檀家。
いつのまにか、法(話)のひとつも説いていない自分に情けなくなる。
だから、お盆にご先祖さまが帰ってくることすらお檀家が解らなくなり、「お墓(お寺)にいくから結構です」
と平気で云われ(お檀家廻りが少なくなって楽?)堕落していく自分に気づかなくなる。

今日、一年ぶりにそんな言葉を聞いた。
奮起して説いた。
 ご先祖様はどこに帰るのですか? 迎え火や送り火って知ってますよね。 きゅうりの馬・ナスの牛、 
 作ったことありますか? お盆ってなんですか? 
70過ぎの老夫婦だった。返ってきた言葉がなんと「勉強します!」。
旅も帰る処があるから楽しいのだとはある人のお言葉。
「ねぇ〜ご先祖様への年一度の最高のお持て成しをしましょうよ!」とようやく諭すことができた。
まだまだ、毎月伺っているお檀家さんにもこんなお盆を過ごしている処が5〜6軒以上ある。
北海道は、信仰の宝庫だと師匠から昔聞いた。
それを我々自身(僧侶)が壊している。謙虚に受け止めなければならない。
折角、先人たちが信仰の場所を求め、築いてくれたのだから・・。
建物(堂宇)が立派になるのはいいが、問題は中身である。ありがたくなりたい。
あまりにも敷居が高すぎてはいないか?
お寺が美術館的(お飾り)になっていやしないか? 口先だけの言葉となっていやしないのか?
どう説くか。本来の仏教とは、本当の信仰とは、本物の僧侶とは・・・・・・。
  
生まれ故郷には、月参りなど無い。8月のお盆参り(棚経:たなぎょう)が唯一のお檀家へ出向いての
コミュニケ−ションの場となる。 単なるお盆参りのはずではない、いろんな意味での僧侶としての
真価が問われる場所であり、試される処でもあるはずだ。
自分だけが力んでもしかたない。
でもこんな気心だけは持ち続けていたい。
自業自得、よき種を蒔いていこう。

     盆はうれしや 別れた人も
              晴れてこの世に会いに来る