叙勲に想う

毎年、春と秋に叙勲がある。
私の師匠(父ちゃん)も何年が前に「勲五等瑞宝章」の栄に浴した。社会福祉(保育園)への貢献に
対してお国が認めてくれたのである。 いろんなことで大騒ぎしていた両親、特に本人を思い出す。
”皇居にいったら、絨毯が凄くてフカフカしいて足が地に着いていないような感覚だった”とか
”ここがテレビに映るなんとかの間だ”とか 便乗商法とやらで記念の賞状額やらテフォンカ−ド、
コップや湯のみ、タオルや筆記用具の果てまで電話や手紙で押し売りされたそうである。
当人戦争を経験?しているから(戦闘機のプロペラ磨きで高校生時代は終わったとか・・)、
現人神・天子様であろうそのお方(天皇)からいただくのだから最高至極であったに違いない。
夫婦同伴でというので表彰式には母ちゃんも皇居内に足を踏み入れたのであった。

それはともかく、国家公共に対し功労のあったその各界の名士に勲章を贈るのである。
今日の北海道新聞の生活欄に「おじさん図鑑」というコラムが書かされていて、毎回可笑しく読んでいる。
 テ−マは【勲章】。
 2003年から叙勲にふさわしい候補者の一般推薦制度が設けられた〜
 国家や公共というくくりには無関係だが、たとえばこの道何十年かのサラリ−マン、子どもを育て家庭を
 守り続けて何十年の主婦、この道何十年かの八百屋さん、等々 無名だがこの日本社会を力いっぱい
 支えてきた無数の一般の人々こそ、国から褒められたり感謝されるべきじゃなかろうか。
ほのぼのとしていてなにか解るような気がする。
格差社会とか云われている昨今、竹の節だけにしていただきたい。上下の節があるのは・・。
    うらをみせおもてをみせて
               散るもみじ 良寛
たとえ落ち葉のような一生でも、散る間際まで皆が教養を高め心地を澄まし、自他平等の幸せのために
懸命に善性を護持したいものです。
無名の人々に乾杯!