年々歳々・・・・

2月3日は節分。今年もどんな豆を撒くことになろうか。
年齢を数えるにあたって、この節分(立春の前日)の日を境に数え年を覚える。
そしてあたわった歳分の豆を頂く。
小生、2歳を加えることになるので早50歳という訳である。
人生50年といわれた時代には、とっくに老人である。
 
ある時、長生きの祈祷を頼みにきた老人と良寛さんの問答の逸話がある。
 良寛:何歳まで生きたいのですかな
 老人:百歳くらいまでは
 良寛:私のご祈祷は大変よく効くので、百といえば、百歳の終わりには必ず
     あなたの命は亡くなるが、それでもよろしいかな
 老人:いえ、せめて百五十まで
 良寛:百五十と言うても、あなたの歳からいえばあと七十年。その歳もあっという間に
     過ぎてしまうだろうが、それでもよいかな
 老人:いえ、三百歳まで生きていたい
 良寛:よいか、三百歳というても、その歳になればやはり死ぬ。それよりもいっそ、死なぬ
     ご祈祷をしたらどうじゃな
この逸話の面白いところは、長生きをしたいと最初は控えめだった老人が、良寛さんに問われ
もっと先まで長生きしたいと望むようになってしまったということである。
命を「私」のものと限定すれば、もっと先、もっと・・・・と望むことになる。
それでは、死なぬご祈祷とは何を意味しているのだろうか。

良寛さん曰く
 ”災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。
               死ぬ時節には死ぬがよく候。
                       是はこれ災難をのがるる妙法にて候。”  
なかなか凡人にはその妙法に苦慮する。
しがらみだったり、こだわりだったり、さまざまな要因が襲い掛かっている。
そんなこころの鬼を追い払おう。
思いを定めて安心することが節分であり、死なぬ妙法ではなかろうか。