あたりまえ

”仕事終え 我が家に帰宅
       着信あり 誰か不明の 電話に腹を立て” (愚僧作)
先月、ある方からお叱りの電話をいただきました。
着信の番号に掛けてきたのでした。
名前も名乗らずただ電話の着信記録に腹を立てやつ当たりされました。
仕事で不憫なことやもやもやしてたこともあったのでしょう。
家庭でのいやなこと、不都合なことができたのでしょう。
天下を取ったような怒号とともに電話を切られました。(折り返し電話説明をして一件落着)
定年も近い、公的なお仕事をされている方でした。
悲しい思いをしました。

健常者だ、障害者だと分別(ぶんべつ)し自らが苦しんでいる私たちです。
またある人は、障害を個性だといいました。 あなただから受け止められる、あなたの家族
だから個性を引き出せる。病気になってもいいけど病人になるなという人も居ます。

あたりまえの不思議さにあえて『飛鳥、そしてまだ見ぬ子へ』(井村和清著)を思い出しました。
  あたりまえ
  こんなすばらしいことを みんなはなぜよろこばないのでしょう
  あたりまえであるこを
  お父さんがいる
  お母さんがいる
  手が2本あって 足が2本ある
  行きたいところへ自分で歩いてゆける
  手をのばせばなんでもとれる
  音がきこえて声が出る
  こんなしあわせはあるでしょうか
  しかし だれもそれをよろこばない
  あたりまえだ と笑ってすます
  食事がたべられる
  夜になるとちゃんと眠れ そして又朝が来る
  空気をむねいっぱいにすえる
  笑える 泣ける 叫ぶこともできる
  走り回れる みんなあたりまえのこと
  こんなすばらしいことを みんなは決してよろこばない
  そのありがたさを知っているのは それを失くした人たちだけ
  なぜでしょう 
  あたりまえ

考えさせられる詩です。
生きているうちにそのありがたさを感じて 感謝しあえるというのが本当だよと呼びかけている
のだから、素直に私たちはそれを学ぶべきだと思います。

「天上天下 唯我独尊」 4月8日はお釈迦様の誕生日。
この世の中で、みんなそれぞれにお互い自分というのは、かけがえのない尊い存在であり、
かけがいのない尊い命であるということ。 
‘みんなちがって、みんないい’お互いにみんなそれぞれ尊い存在です。
お釈迦様は云われました。
お互いの違いを認め理解し合うことが大切です。
あたりまえの不思議を感じることです。
ね!着信記録に腹を立てた貴方・・・・・・・・・・・。