ママ、遅いよ

北海道新聞2007.6.2朝刊の「卓上四季」を切り取ってファイルしてある。
何度も何度も読むたびに、我が子が何なのか、何をしたというのか、
これからの子供に酷過ぎ、涙の出る思いである。
そのコラムを紹介しよう。
 『子馬は生れてすぐ走るのに、人の子供は立ち上がるのにさえ時間が掛る。
 自分ではなかなか食べ物も取れない。ほかの動物に比べ、自立するまでの
 時間がずっと長い。家庭や社会が愛情を注ぎ手間をかけることを前提に生きて
 いる。   〜中略〜   
 1歳だった三男が死亡した、苫小牧の事件である。   〜中略〜
 21歳の母は、育児が面倒になり、餓死させようと家を出た。一か月以上も置き去り
 にした。3歳なら食べ物に好き嫌いがある年頃だ。よほどおなかをすかせたのだろう。
 生のコメやケチャップ、マヨネ−ズ、生ゴミまで食べて生き延びた。
 弟は、放置されている間に死んでしまった。
 いく日もたって玄関が開いた。待ちに待った母の姿だ。子供が餓死しただろうと思って
 帰宅した。幼子にそんなことはわからない。なんであれ、頼りになるのはこの人だけだ。
 帰ってきて欲しかったのだろう。飛び出して抱きついた。
 ”ママ、遅いよ!”人には時に、決して裏切ってはならない存在がある。
 自分だけでは生きられない子供は、間違いなくそうしたものであろう。もちろん子育ての
 責任は、母親だけにあるのではない』
だだただ泣けた。
生まれてこなければよかったのにと思った。
しかし、その母親のとこへのご縁である。我々に無言の説法をしている。

今月はお彼岸である。良い種を蒔こう。こんな叫びは聞きたくない。