摂心(せっしん)

永平寺で修行中の我が子。
12月1日から摂心に入ったようである。12月8日、成道会(じょうどうえ:お釈迦様のお覚りの日)
まで続くのである。まさしく坐禅三昧。トイレ、食事以外は朝起きて寝るまで坐禅のし通しなのである。
全国各地の修行道場も同じく摂心に入る。
毎朝坐禅はするのだが、特にこの期間の坐禅にはちょっと違った風光がある。
「スパッダよ、私は29歳で善を求めて出家した、スパッダよ、私は出家してから50年余となった。
真実の道理と法の領域のみを歩み続けてきた。これ以外に道を求める修行者の生き方はないのだ」
                                                (大パリニッパ-ナ経)
お釈迦様は、このように最後の教えを説かれた。50年余にわたって唯ひたすらに”人間の生きる
真実の道はなんであろうか?”と修行されたのである。
その結果、私たちの生命の流れをありのままに捉え、苦しい時は苦しみをそのまま受け取り、楽しい時
は楽しみをそのまま受け取りなさいよと説かれたのである。
「生老病死」。人はみなこの苦しみから逃れることはできない。
このあるがままの生命を享受してこそ、今日の生命を力強く生きて行ける。

心を摂(おさ)めて昏沈、散乱させず、万事をなげうってひたすらに坐禅弁道する修行である。
自らを捨てて自らを学ぶ。
いままでの修行がこれでいいのか?この先どう修行したらいいのか?
よく考えて坐してみるとよい。
しかし、初めての摂心、辛かろう・・・・・。