標識と葬式

標識と葬式、なにも関係ないと思った。がしかしである・・・。
函館に来た頃、変則(中央線にあたる部分が広い歩道)の道路を右折して直進して小路へ入って
次の月参りのお檀家さんを地図で確認していた。すると
「コン、コン、コン」とドアを叩く音に気づいて顔を上げるとお巡りさん。
どうしたものかと窓を開けた。
「お寺さん、標識みたかい?」とお巡りさん。
なんのことが分からず一言「どうかしましたか」と尋ねると
「先の道路は右折禁止なんだよ」とお巡りさん。
「はあ~」というのが精一杯の小生。
「しっかり標識みて走ってくださいね。事故でも起こすと大変ですから」とお巡りさんからの注意。
反則切符は切らず、温情を与えてくださった当時のお巡りさんに感謝していた。

先日、お檀家回りをしていた時にご時勢を嘆いていたお檀家さんの話を伺った。
なんと小生と同じく右折禁止のところを右折してしまい、反則切符を頂いたという。
話はスピ-ド違反、駐車禁止さらに飲酒運転にまで及んで話は尽きなかった。
30分にも話は及んだ挙句、だまされる自分に反省しないと振り込め詐欺にもやられてしまうと。
昔は~(よかったなあ~と云わんばかり)と懐かしがっていた。そんなこんなで
話はこんがらかってしまった。許せる話と許せない話、見逃すことと見逃せないこと・・・・・。
甘い自分とそうでない自分の葛藤。これくらいいいんじゃないかと思うこころと
これくらいと思うからだめなんだと思うこころを自省するこころ。

話はまた当時に戻るが、そこの住職に聞かされたことがあった。
昔は法事でちょっとお酒を嗜んで車を運転したこともたびたびあったという。
お坊さんだからという甘えもあったのか、世の中が生ぬるかったようである。
それはさておき、ある日御住職、毎日忙しく檀家回りをしていたそうである。
葬式を終え、廻りきれなかったお檀家さんにいく道中だった。
角に交番もあるのも薄ら覚えでその角を直進した。
案の定、飛び出してきたお巡りさんに捕まってしまったそうである。
その道、一方通行。
止められた住職の車、訊問がはじまった。
交通量も多いその道である。
「お寺さん、標識みたかい?」とお巡りさん。
「いや、いま葬式に行ってきた帰りだよ」と御住職。
「いやそうでなくて標識・・・・」とお巡りさん。
「あなたもわからないなあ葬式に行ってきたんだ」と御住職。
やりとりが数分続いたそうである。
呆れたお巡りさん「どうぞ早く行ってください・・」と住職の車を誘導したそうである。
少しお酒も入っていたそうな・・。

禅の言葉に『庭前柏樹子(ていぜんのはくじゅし)』という禅語がある。
”達磨大師はどうしてインドから中国にきたのか”と一人の僧。
趙州和尚曰く”庭前柏樹子”。   なんで庭の柏の樹?とだれでも思う。
庭の前?柏の樹は関係ない?と決めつけている。
言葉の一つ一つにこだわり、全体を見失っているからである。
つまり、「言葉に捕らわれるものは自分を見失う」というわけである。
標識と葬式。関係のない両者だがそのことに拘っていては話にならない。

今年も1か月足らず、過ぎ去る年に感謝と来る年へ希望を。
一年間お付き合いありがとうございました。
来年もよろしくお願いいたします。