心友、Hへ。

帰郷の度に、会いに行く中学時代からの友達『H』。
今年の正月には会えないで、いつもながらのお土産をお父さんに渡しただけだった。
そのHから、進物海苔が届いた。
成績も優秀で、生徒会長も務めた彼。大学卒業後、養護学校に教諭として勤めた。
順調に精力的に子供たちからも慕える先生になっていた矢先、一身上の都合で休職
、時を異にして退職せざるを得ない状態になってしまい、現在療養の傍ら共同作業所に
通う毎日である。
当時、身体的にも精神的にも苦境に陥った彼から電話が鳴った。
その後の手紙を綴った書面を偶然PCの中から見つけた。

とにかく、吃驚しました。帰郷した時、結婚まで考えていた大切な彼女が支えになっている
ように感じ、これで大丈夫だと思ったおまえが、『自殺してはだめだろうか?』と云った。
『いま入院を迫られていて、自分か入院すると手術を控えている母さんがいるので
心痛である』と云った。

いま、改めてわが身を正し心友(親友)としておまえに俺の気持ちを伝えたい。
竹馬の友に松井裕君がいた。11年前に多臓器不全で35年と47日の寿命を全うした。
肛門が無く生まれて、21回にもおよぶ手術にも耐え、人工透析を続けながら、最後は
車椅子の生活を余儀なくされ死んでいった。

『孝司、俺よりまだ辛く苦しい人は沢山いる、おれはいいほうだよ』といったあの言葉。
そうまでして(言葉にして)までも、こんな俺に伝えたかったのか。
彼の心意はどこにあるのか?
いまでも当時のことが甦り、返す言葉も無かった自分を恥じている。
そんな闘病生活を手記にしたお母さんの言葉に
 『裕、長い間苦しかったね。頑張ったね。いっぱい優しくしてくれてありがとう。
 今度は丈夫な子になって、また母ちゃんの子に生まれてきてね』と頬を撫でた。
 ・・・・指切りをした。『また会えるよね。絶対ね』
と綴っている。

人間生まれたからには一歩一歩死に向かって歩んでいる。生まれたときにもうすでに
自分の人間としての期間区間をいただいている。ただそれがわからないだけ。
精一杯与えられた人生を・・人生の出会いめぐり合いを大切に生きる事だと
修証義というお経に書かれている。

願生(がんしょう)()娑婆(しゃば)国土(こくど)し来たれり、
          見釈迦
(けんしゃかむ)
尼仏(にぶつ)を喜ばざらんや


願って我々はこの娑婆世界に生まれてきた。生きる方法として、与えられて生活の糧を戴いた。
それを全うする事がご両親そのまた両親、ご先祖しいてはお釈迦様が喜んでくださるのだ。
だからしっかりと生きよう。生かさせて戴いている事に感謝しようというのである。

死するは最後の手段。いまを精一杯いきよう。きっと灯りが見えてくる。
足元をしっかり大地につけて。 なあH。
                                   2004.6.20  孝司より