さるそばとスリッパと達磨さま

北海道新聞 9月29日朝刊の卓上四季にこんなことが書いてあった。
 落語家の先輩には、そばの食べ方に「やかましい人が多い」・・・
 5代目の柳亭燕路が書いている・・
 ざるそばは「暗黙の厳則」として、最後の1本まで食べる・・・
 食べ残すとせいろやざるに固まって洗いにくいから・・・
 昔からやかましく言われることの背後に、洗う人への配慮がある・・
 理のないものは変えるべきだが、古いものだからと頭ごなしに否定せず、
 その意味を発見し伝えることは大切だと

今月の5日は達磨大師の命日、「達磨忌」である。

有名な中国梁の武帝との問答をおさらいしよう。
 先師、般若多羅尊者の遺命を果たすため、中国に向かった達磨は、三年の歳月の後、
 着いたのが梁の国南海の港でした(西暦五百二十年、現在の広東省広州)。
 当時梁の武帝は、仏心天子といわれ、大層仏教に帰衣していたので、
 達磨を招いて禅問答をします。

 武帝 「如何にして衆生を済度するおつもりか」
 ダルマ 「一字の教えも、もっておりません」
 武帝  「余は、即位以来、多くの立派な寺を建て、数多くの憎たちを供養し、大法会を催し、
 さらに日々写経にも 励んで来た。余にどんな功徳があろうや」
 ダルマ
「無功徳」
 武帝 「何故、無功徳なりや」
 ダルマ 「帝の行為は確かに素晴らしいですが、それは形のことだけで、
 まだまだ真実の功徳と言われるものではありません。
 それは、ちょうど形に従う影のような もので、うわべの形だけのもので、
 中味のない幻のようなものです。本当の功徳というものは、浄らかな心、素直な心で、
 世に求めて得られるものではございません。唯よきことを行うことです。
 それが仏心天子の名に値するものでございます」

スリッパも(とくにトイレの)最後の1本のそばもおなじである。
次の履く人への配慮がある。どうしても用を足せば極楽。それでは武帝と変わらない。
陰徳を積むのである。誰が見ていようがいまいが関係ない。自分の徳を高めるのである。
スリッパを揃えると世界中の人の心も揃うと長野:円福寺藤本老師は喝破する。
そしてそれがら身について自然とさりげなくできることが功徳を積み、頂くことである。
見返りを求めた梁の武帝、達磨に問うた瞬間からもはや功徳が逃げて行ってしまった。
さぞ「無功徳!!」といわれた武帝、心底煮えくりかえったことだろう。

ざるそばとスリッパと達磨さま、みんなそれぞれに個性がある。役目がある。教えがある。