中村久子女史

祈り=願い=愛
私たちが祈るときは、自分が無力である、自分は非力である、自分は物事に対して打ち勝つ
能力が無い、と自分が認めたときである。祈りとは、人間が神仏に対して「私の願いをお聞き
入れください」と願い事である。そしてまた祈りには、二つの祈りがあると云われている。
一つには、天変地異に際しての超現世的な祈り、火事、水害、凶荒、また豊作祈願などなど・・。
祈りは、人類の出発とともにあったのかもしれない。
先月の法話の受験に際しての神社仏閣に祈願することも、ご縁の人の幸せを願うのも。
藁葉も掴む思いで「南無」と祈る。形に現したのが合掌である。
左手と右手の、あなたとわたしの、彼と彼女の、仏と私の、亡くなった人と私の出会いである。

”右ほとけ、左は我と合わす手の なかに床しき南無の一声”   
この言葉を発するたびに思う方がいる。
幼くして両手両足を切断し、結婚し子供も授かり、一生を終えた「中村久子」注 さんである。

「過ぎし世に いかなる罪を犯せしや 拝む手の無き 我は悲しき」という詩や
女史の心情を詩にした”ある ある ある”

今年も新年度を迎えた。それぞれに新たな祈りを抱いて始まった。
我が愚息(4年目の本山での修行に邁進する長男、本山を下り東京のお寺に修行する次男)、
もそれぞれに祈りに不安と期待を感じているであろう。
中村久子女史に学ぶところは多大なるものがある。


注: 久子女史は1897年(明治30年)11月25日、岐阜県大野郡高山町(現 高山市)に畳職人
の釜鳴栄太郎・あやの長女として出生。2歳の時左足の甲に凍傷をおこし、それがもとで特発性
脱疽(だっそ)になり、3歳の時両手両足を切断、闘病生活が始まる。7歳の時父を亡くし、
また10歳の時弟と生別、母の再婚等苦 労の生活が続いたが、祖母丸野ゆきのやさしい指導と、
母あやの厳しいしつけの中で努力と独学を重ねた。結果、無 手足の身で文字を書き、縫い物、
編み物をこなす
ことを独特の方法で修得した。