初代伊八(武志 伊八 宝暦元年《1751》〜文政7年《1824》
江戸後期『波の伊八』
千葉房州の鴨川市下打墨の出身 江戸時代に”波を彫らせたら日本一、右に出るものなし”といわれ、葛飾北斎の富岳三十六景 神奈川沖之浪裏の構図に使用された。
武志家は「江戸彫工の祖」と言われるほど名人で五代まで続いた。
特に初代は当時から一流として知られ、神社仏閣の欄間彫刻師で南房総に傑作が点在している。
作風は、「龍と波」が多く立体感のある透かし彫りを得意としている。
ほとんどの作品に特徴ある波が描かれていて、構図が斬新で欄間の中に納まらず龍が欄間からはみ出している独特の個性である。

初代武志伊八郎信由(本名 武石伊八)
”関東に行ったら波を彫るな”と同業者仲間に恐れられる程であった、と言われるが、1824(文政七)年、73歳で死亡。

二代武志伊八郎信常(本名 武石万右衛門)は、1786(天明六)年生まれ、父信由のもとで修行し、初代亡き後38歳で武志伊八郎を継ぎ、藻原寺や清澄寺などに作品を残している。1852(嘉永五)年、66歳で亡くなる。

三代武志伊八郎信美(信秘)(本名 武石伊八郎)は、1816(文化十三)年に生まれ、1889(明治二十二)年、73歳で死亡する。幕末から明治中期にかけて生きた彫刻師で、民家の欄間、置物などにも作品を残している。

四代武志伊八郎信明(本名 高石仙蔵)は、三代信美の三女てると結婚し、養子として高石家に入籍、四代目武志伊八郎を名乗った。1862(文久二)年の生まれ、東京柴又の帝釈天の作品に半生を注ぎこんだと伝えられ、制作中に病に倒れた。1908(明治四十一)年、46歳の時であった。

五代武志伊八郎信月(本名 高石武一郎)は、1890(明治二十三)年に生まれ、父とともに柴又、帝釈天での制作に従事し、1954(昭和二十九)年に死亡した。

智恩寺本堂内の伊八作 欄間 (写真提供:君津市 元岡陸視さま)

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